2020年11月3日更新

岐阜の札所〜西国三十三所観音巡礼

西国三十三所観音巡礼に指定されている岐阜県唯一のお寺は華厳寺です。
桜や紅葉の名所としても知られ、西国巡礼33カ所の最後の巡礼の地、すなわち満願(まんがん)、結願(けちがん)の地として巡礼を終えた人たちの喜びと安堵感が境内にあふれる厳かな雰囲気のお寺です。

第33番札所 華厳寺(けごんじ)

〒501-1311 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23

通称、谷汲(たにぐみ)さんの名で親しまれているお寺です。
近くの谷から油が湧き出し、仏前の灯明に使われたことから、谷汲さんと呼ばれるようになりました。
創建は798年、豊然(ぶねん)上人の開基による天台宗の古刹です。

御本尊は十一面観世音菩薩。
会津(あいづ=現在の福島県)の豪族であった大口大領(おおぐちたいりょう)が都で十一面観音を造らせて、会津に持ち帰ろうと運んでいた際、谷汲の地で突然観音菩薩が重くなり動かなくなってしまったことから、お堂を建て、豊然上人によって祀られたのが由来です。

西国三十三所観音巡礼の中興の祖である花山法皇が徒歩で巡幸し、最後の満願所と定め禅衣や杖を奉納したと伝わります。

御本尊は厳重な秘仏とされており、写真も公開されていません。
明治時代までは33年に一度、大正から昭和30年までは7年に一度、ご開帳されていましたが、現在は定期的なご開帳はされていません。
最近では2010年、花山天皇1000年忌に合わせてご開帳されたのが最後です。
美術史研究家の久野健(くのたけし 2007年没)氏によると、榎(えのき)の一木造りで、高さは2m25㎝とのこと。

本堂の左右の柱には、青銅で造られた鯉が打ち付けられており、満願を達成した巡礼者は、この鯉に触れることで、精進落としを達成することから、精進落としの鯉と呼ばれています。

精進落としとは、通常の食事を断ち精進料理を食べていた人が、通常の食事に戻すことを言います。

本堂の左側奥には笈摺堂(おいずるどう)と呼ばれる小さなお堂があります。
西国三十三所観音巡礼を終え満願となった巡礼者達が、巡礼中に羽織ってきた笈摺(おいずる)や笠を奉納する神聖な場所となっています。

笈摺(おいずる)とは巡礼者が着物の上に着る袖なしの羽織に似た薄い衣のこと。

笈摺堂の左側の階段を登ると満願堂にたどり着きます。
巡礼を終えたら、どちらも訪れたいお堂ですね。

毎年2月18日に開催される豊年祈願祭では、岐阜県の重要無形民族文化財第1号に指定されている谷汲(たにぐみ)踊りが奉納されます。
伝承によると、源氏が平家を滅亡させた戦勝を祝い踊られた武者踊りで、武士が祭礼等で踊ったものと言われ、当時は「鎌倉踊り」とも呼ばれていたとか。
岐阜県を代表する郷土芸能です。