2020年3月31日更新

奈良の札所~西国三十三所観音巡礼

岡寺 三重塔 厄除け

西国三十三所観音巡礼に指定されている奈良県のお寺は、南法華寺、岡寺、長谷寺、興福寺南円堂の4カ所です。

  1. 目次
  2. 第6番札所 南法華寺(みなみほっけじ)
  3. 第7番札所 岡寺(おかでら)
  4. 第8番札所 長谷寺(はせでら)
  5. 第9番札所 興福寺南円堂(こうふくじなんえんどう)

第6番札所 南法華寺(みなみほっけじ)

〒635-0102 奈良県高市郡高取町壺阪3

通称「壷阪寺(つぼさかでら)」で知られるお寺です。
本堂である六角円堂は、元正天皇(げんしょうてんのう)が祖母にあたる持統天皇(じとうてんのう)の霊をなぐさめるために勅願し、弁基(べんき)が建立したと伝わります。
火災や戦乱に巻き込まれるなどにより、現存する六角円堂は江戸時代後期に再建されました。

御本尊は十一面千手千眼観世音菩薩(じゅういちめん せんじゅ せんがん かんぜおん ぼさつ)。
眼にご利益のある観音様として信仰を集めています。

人形浄瑠璃「壷阪霊験記」※の舞台としても有名です。

※壷阪霊験記(つぼさかれいげんき)
明治時代につくられた浄瑠璃(じょうるり)で、盲人と妻の夫婦愛を描いた物語です。
目の見えない夫のために、妻が壷阪寺の観音様に「夫の眼が治るように」と1000日間念じ続けたエピソードが描かれます。

壷阪寺(つぼさかでら)は1964年より、インドにおけるハンセン病患者救済活動※を続けており、そのご縁から天竺渡来大観音像(てんじく とらい だいかんのんぞう)など巨大石像群が並び、シルクロードの香りが豊かに漂うお寺です。

※ハンセン病患者救済活動に至った経緯
インドに目の見えないハンセン病の患者さんがおり、指の神経が病気に侵されているため、舌を使って点字を読んでいる事を知った当時の住職、常盤勝憲氏が、手助けをしたいとの思いから始めた活動。
現在は息子さんの常盤勝範氏がその意思を引き継ぎ、社会慈善活動を継続されています。

第7番札所 岡寺(おかでら)

〒634-0111 奈良県高市郡明日香村岡806

岡寺 龍蓋寺

天智天皇(てんちてんのう)の勅願により義淵(ぎえん)が建立したお寺です。
お寺の正式名称は「龍蓋寺(りゅうがいじ)」ですが、岡という住所を持つ事から「岡寺(おかでら)」の名で親しまれています。
龍蓋寺は、良弁(ろうべん)※1行基(ぎょうき)※2など、優秀なお坊さんをたくさん輩出したお寺としても有名です。

  ※1 良弁(ろうべん):東大寺を創建したお坊さん
  ※2 行基(ぎょうき):東大寺の廬舎那仏を造ったお坊さん

7世紀後半に都が飛鳥京から平城京に遷都してしまった後、飛鳥地域は衰退してしまいますが、時の天皇であった孝謙天皇(こうけんてんのう=女帝)が龍蓋寺に厄除け祈祷に訪れ、国家安寧(こっかあんねい)を願ったことから、厄除け発祥のお寺として歴史を刻んできました。

岡寺 如意輪観音座像

御本尊は如意輪観音坐像(にょいりん かんのん ざぞう)。
高さ4.8mの高さを誇り、塑像(そぞう=土でできた仏像)としては日本最大の仏様です。

現存する三重塔(ページトップの写真参照)は1986年に再建された、比較的新しい建物です。
大乗院日記※には、1472年7月21日、台風で岡寺の三重塔が倒壊したことが記されていることから、500年を経て再建されたことになります。

※大乗院日記とは
奈良興福寺の門跡である大乗院(だいじょういん=現存せず。跡地には奈良ホテルが建つ)に伝来した日記で、1065年~1504年までに全国各地で起こった出来事が記されています。

この三重塔の軒先を見上げてみてください。小さな「琴」が飾られています。

岡寺 三重塔 琴

これは岡寺が寺宝として所蔵する「両部大経感得図屏風(りょうぶ たいきょう かんとくず びょうぶ)」の図中に「琴」の荘厳が描かれていたものをモチーフに復元したものです。

第8番札所 長谷寺(はせでら)

〒633-0112 奈良県桜井市初瀬731-1

長谷寺

長谷寺は、古来より山岳信仰の霊地で、天武天皇の健康を願って道明上人(どうみょうしょうにん)が発願し、徳道上人(とくどうしょうにん)が創建したお寺です。

初瀬という地域に建立された事から創建当時は「はつせでら」や「はつせのてら」と呼ばれていましたが、次第に「はせでら」と呼ばれるようになりました。

長谷寺 十一面観音菩薩立像

御本尊は十一面観音立像(じゅういちめん かんのん りゅうぞう)。身の丈は10mあり、日本最大の木造仏です。

長谷寺の御利益といえば、「美」と「縁結び」です。

古典文学でも度々紹介されている人気のお寺で、平安時代、宮廷の女性や貴族たちの間では「初瀬詣で(はせもうで)」が一つのトレンドでした。

2015年(平成27年)より、室生寺(むろうじ)、岡寺(おかでら)、安倍文殊院(あべのもんじゅいん)、長谷寺(はせでら)の四寺で新しい巡礼の会が結成されました。
「奈良大和四寺巡礼(ならやまと よじ じゅんれい)」と名付けられています。

海外旅行者もターゲットに入れているため、6ケ国語に対応したホームページが作成されており、令和時代の新しいトレンドが、また一つ長谷寺から生まれています。

「奈良・長谷寺~観音信仰の聖地~」はこちらをクリック

第9番札所 興福寺南円堂(こうふくじなんえんどう)

〒630-8213 奈良県奈良市登大路町48

興福寺南円堂

興福寺は藤原氏の氏寺で、創建の由来は「大化の改新(たいかのかいしん)」を行った藤原不比等(ふひと)にまでさかのぼります。

西国三十三所観音霊場である「南円堂」は、藤原冬嗣(ふゆつぐ)が、父である藤原内麻呂(うちまろ)の冥福を祈って813年に建立されました。

日本最大の八角堂です。

南円堂建立のための地鎮祭(じちんさい)には、当時の流通貨幣であった「和同開珎(わどうかいちん)」や「隆平永宝(りゅうへいえいほう)」をまき散らし、土地の神様を鎮めたことが発掘調査でわかっています。

御本尊は鹿革をまとった不空羂索観音坐像(ふくう けんさく かんのん ざぞう)。
高さは3mにおよび、ふくよかなお姿が印象的です。
仏師は康慶(こうけい)。東大寺の金剛力士像を掘った運慶(うんけい)の父親です。

「羂索(けんさく)」とは、青・黄・赤・白・黒の5色の糸をよって作る縄状の仏具です。
人々を迷いの中から救い出し悟りを開かせるための象徴として、不動明王や不空羂索観音が持つ仏具の事を指します。

健康祈願や無病息災にご利益のあるスポットです。