2020年2月20日更新
奈良・室生寺(建物編)~法隆寺の次に古い五重塔〜
室生寺(むろうじ)は、金堂(こんどう)、灌頂堂(かんじょうどう)、五重塔(ごじゅうのとう)の3つの建造物が国宝に指定されています。
今回は日本最古の山岳寺院である室生寺の伽藍(がらん=お寺の建物のこと)についてご紹介します。
「室生寺(由来編)」「室生寺(みほとけ編)」も合わせてお楽しみください。
- 目次
- 金堂を兜に見立てた「鎧坂(よろいざか)」
- 平安時代初期の姿のままの「金堂(国宝)」
- 興福寺のお坊さんの功績を称える「弥勒堂」
- お坊さんの卒業試験の場所から本堂に生まれ変わった「灌頂堂(国宝)」
- 奇跡の復活「五重塔(国宝)」
- 空海を祀る「奥の院 御影堂」
金堂を兜に見立てた「鎧坂(よろいざか)」
室生川手前にあるパーキングに車を停め、朱塗りの太鼓橋を渡り始めると「女人高野 室生寺(にょにんこうや むろうじ)」と彫られた石碑とともに「表門(おもてもん)」が見えてきます。
室生川沿いに歩みを進め「仁王門(におうもん)」をくぐると最初に見えてくるのが72段の石段をもつ「鎧坂(よろいざか)」です。
坂を見上げると「金堂(こんどう)」の屋根だけが見え、まるで石の壁のように立ちはだかる鎧坂ですが、その姿は決して威圧的ではありません。金堂を兜に見立て鎧を着た武士に見えることから「鎧坂(よろいざか)」と呼ばれるようになったとか。
乱れ積み(みだれづみ)と呼ばれる手法で積まれた美しい石段です。
石段の両脇は、春はシャクナゲ、秋は紅葉の美しい場所としても人気があります。
平安時代初期の姿のままの「金堂(国宝)」
鎧坂(よろいざか)を登りきると、正面に、石垣二段にまたがり清水寺のような長い柱で床を支える懸造(かけづくり)の「金堂(こんどう)」が現れます。
平安初期から一度も天災による焼失がなく、1200年前から変わらぬ姿で現存する「奇跡のお堂」と呼ばれる金堂です。
平安時代前期の山寺としては、日本唯一の貴重な建築物です。
金堂には、国宝「伝釈迦如来(しゃかにょらい)立像」や「十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)立像」をはじめ重要文化財に指定されている「薬師如来(やくしにょらい)立像」「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像」「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)立像」が安置されています。
これらの仏像が安置されている後ろには、「板絵著色伝帝釈天曼荼羅図(いたえちょしょく でん たいしゃくてんまんだらず)」が桧板に描かれており国宝に指定されています。
9世紀後半に描かれたとみられており、現存するとても貴重な壁画です。
〈「室生寺(みほとけ編)」参照〉
興福寺のお坊さんの功績を称える「弥勒堂」
金堂前庭の左手には「弥勒堂(みろくどう)」が建立されています。
鎌倉時代前期の建築ですが、江戸時代に大幅に改造されています。
二重屋根の小屋構造は、鎌倉時代前期の手法が残されている貴重な建物です。
弥勒堂には重要文化財の「弥勒菩薩立像(みろくぼさつ りゅうぞう)」が安置されています。この弥勒菩薩立像は、お寺の創建に深く関わったお坊さんの功績を称え、興福寺から譲り受けた仏様です。
室生寺の弥勒堂は、この弥勒菩薩立像を祀るために造られたお堂なのです。
お坊さんの卒業試験の場所から本堂に生まれ変わった「灌頂堂(国宝)」
金堂の後ろにある石段を登ると「灌頂堂(かんじょうどう)」があります。
この灌頂堂は、その昔、室生寺が様々なお坊さんの修行道場だった時代に、各宗派の僧侶が卒業試験の儀式である灌頂(かんじょう)を行う専用のお堂として、鎌倉時代(1308年)に建てられましたが、江戸時代に入り、本堂として生まれ変わった歴史があります。
灌頂(かんじょう)とは、修行僧に戒律や資格を授けて正当な継承者とするための儀式のことを言います。
余談ですが、お葬式の時にお経をあげてくれるお導師さんの後ろで、引導を渡す所作がありますが、この所作は灌頂を受けたお坊さんしか行うことができないのだとか。またお寺を参拝する人々と会話が許されているのも灌頂を受けた僧侶だけなのだそうです。
現在は文化財指定を受けている灌頂堂ですが、室生寺山内では一番新しいお堂です。
室生寺では「灌頂堂(本堂)」と称されていますが、本堂とはそのお寺のご本尊を安置する建物のことを指します。したがって室生寺の灌頂堂にはご本尊である「如意輪観世音菩薩(にょいりん かんぜおん ぼさつ)」が安置されています。
奇跡の復活「五重塔(国宝)」
法隆寺の次に歴史のある五重塔
さて、室生寺で一番古い建物は、国宝「五重塔(ごじゅうのとう)」です。
高さ16.1メートル、屋外に建つ五重塔では国内最小の五重塔です。創建は奈良時代の末で、法隆寺の五重塔に次ぎ、2番目に古い歴史のある五重塔です。小規模な塔ですが、柱は太く、法隆寺と同じエンタシス※の柱が使われています。
※エンタシス=古代ギリシャの神殿建築で有名な柱。円柱下部から中央にかけて緩やかなふくらみをもち、上部を細くした形状の柱の事。
相輪の上の装飾は室生寺だけのオンリーワン
五重塔の屋根の上には九輪(くりん=相輪(そうりん)とも呼ぶ)と呼ばれる9つの輪が設置されています。九輪の中央には、天と地をつなぐ透明な柱があり、宇宙根源神※の生気が地に送られてくると信じられています。
※宇宙根源神=東洋思想においては、天、地、空、実相、宇宙霊などと称し、宇宙エネルギーを指す。
通常、九輪の上には水煙(すいえん)と呼ばれる火焔状の装飾金具が設置されています。水煙には火事を遠ざけ水難をおさえる意味が込められています。ところが室生寺の五重塔には水煙がありません。なぜならこの場所は水が生まれる場所だからです。
室生寺の五重塔には水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう=密教において灌頂の水を入れる器)が設置されており、その上には八角形の宝蓋(ほうがい=傘状の装飾品)をのせた独特の形状をしています。
室生寺が水の神様である竜神を祀っている事と無縁ではないでしょう。
最小の塔を大きく見せる3つの工夫
この国内最小の五重塔は、大きく見せるために、いくつかの工夫がなされています。
5層の屋根の幅をほぼ同じにして、各層の屋根の軒や欄干を徐々に狭めるなど遠近法を用いており、見上げたときに大きくそびえ立つように見えるよう工夫がなされています。
奥の院に昇る階段が左後方から続いていますが、階段を登ると第5層目の屋根や装輪と同じ目線に立つことができます。
すなわち見下ろすことのできる五重塔としても有名です。
平成10年の台風で激しい損傷を受けた五重塔
室生寺の五重塔は、平成10年、台風7号により大きな被害を受けました。
周囲を囲む杉の大木が折れて五重塔に倒れかかり、屋根や庇が激しく損傷したのです。
宮大工も絶望的な心持で扉を開けてみると、中の心柱(しんばしら)※には全く被害がなかったことから、屋根と庇の修復を行い、2年後に復興することができました。
※心柱=地面から五重塔の上部まで貫かれている1本の柱のこと。建物の強度をあげる構造で、東京スカイツリーでも心柱に似た構造が取り入れられている。
創建800年の定説を裏付ける年輪
この修復の際、心柱の年輪を測定したところ、794年頃に伐採された木である事が判明し、五重塔の創建は800年頃とされてきたこれまでの定説が裏付けられました。
空海を祀る「奥の院 御影堂」
五重塔からさらに400段の石段を登ると、空海(くうかい)を祀る「奥の院御影堂(おくのいん みえいどう)」にたどりつきます。
御影堂は鎌倉時代の建築で、重要文化財に指定されています。内陣(ないじん)には真言宗の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)が42歳の時の像が安置されています。
奈良、平安、鎌倉と三時代の仏像が安置されている室生寺は、室生仏教美術という単語も生まれるほど美しい仏像の宝庫です。
仏像については「室生寺(みほとけ編)」でご紹介します。
「室生寺(由来編)」、「室生寺(みほとけ編)」に続く