2020年3月17日更新
奈良・室生寺(由来編)~龍神様にあやかり運気をUP~
室生寺(むろうじ)は、真言宗室生寺派(しんごんしゅう むろうじは)の大本山で、金堂(こんどう)、灌頂堂(かんじょうどう)、五重塔(ごじゅうのとう)の3つの建造物が国宝に指定されています。
近鉄大阪線の室生口大野駅から約6㎞、室生川の清流に沿って建立されており、古くから雨乞いの聖地として崇拝されてきました。女人高野としても有名です。
日本最古の山岳寺院でもある室生寺について〈由来編〉〈建物編〉、〈金堂のみほとけ編〉、〈金堂以外のみほとけ編〉と4回に分けてご紹介します。
室生の地は雨乞いの聖地
室生寺(むろうじ)は奈良県と三重県の県境に位置します。
比叡山や高野山よりも以前に建てられた山岳寺院として知られており、室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹にかけて自由に伽藍が配置されています。
室生山は、古都である奈良・京都の東に位置しており、奈良東大寺の北側を流れる木津川へと注ぐ室生川は、まさしく都の水源です。
1500万年前の火山活動によってできた室生川と室生山一体には、珍しい形の岩や洞穴があちこちに点在しており、室生寺が建立される以前より、恵の水をもたらす竜神様の住む場所として、「雨乞い(あまごい)」や「雨止(あまやみ)」の霊験あらたかな場所として信仰を集めてきました。
古来より龍神は都(みやこ)の東に宿ると信じられており、人々はこの地に祈りを捧げ、大切に守ってきたのです。
室生寺創建の由来
室生寺の創建は奈良時代末期で、興福寺の僧であった賢璟(けんけい)によって開かれたとされています。
開山の由来は、山部親王(やまべのしんのう:後の桓武天皇)が重い病にかかり、僧5名を室生山に派遣して病気平癒(びょうきへいゆ)の祈祷を行わせたところ、親王の病が回復したことに始まります。
古来より、室生の洞穴には龍神が住み、その活動によって雨も降れば、その他の偉大な現象が起きると信じられていました。
後に天皇となった桓武天皇が、5名の僧の一人であった賢璟(けんけい)に命じて室生寺を創建させた事が、平安時代初期に編纂された歴史書「続日本記(しょくにほんぎ)」に記されています。
室生寺の創建の実務を執り行ったのは、賢璟(けんけい)の弟子である修円(しゅうえん)と考えられています。この二人の僧は法相宗(ほっそうしゅう)の学者でしたが、最澄とも交流があり、天台宗の研究もしていました。
賢璟(けんけい)と修円(しゅうえん)は、かねてより興福寺の僧たちが学ぶ場として室生山に着目しており、天皇の勅命をきっかけとして山岳修行の学問道場として室生寺を建立したのです。今で言えばお坊さんの大学です。
その後、室生寺には宗派を超えて異色の僧が続々と入山し、真言宗、天台宗という密教の影響も受けながら充実した山岳道場として発展していきます。
竜神様にパワーを与える弥勒堂
金堂前庭の左手には「弥勒堂(みろくどう)」が建立されています。
通常お堂は太陽の方角である南向きに建てられますが、室生寺の弥勒堂は、東を向いて建てられています。
最初に建立された時(鎌倉時代)には南向きに建てられていたお堂を、室町時代になってから東向きに移築したと伝わります。
弥勒堂が向いている東の方角を見てみると、「龍穴(りゅうけつ)」があり、竜神様が祀られていますが、竜神様は言わずとしれた水の神様です。
室町時代といえば、「長禄・寛正の飢饉(ちょうろく・かんしょうのききん)」がありました。
日本全国を襲った大飢饉です。
長禄3年(1459年)から寛正2年(1461年)にかけ旱魃(かんばつ)と水害が交互に訪れ、京都では鴨川が氾濫し多数の家屋が流出、数え切れないほどの死者が出ました。
室生寺の弥勒堂(みろくどう)が東向きに移築されたのは、まさにこの時代なのです。
弥勒堂に祀られている「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」は、菩薩と如来の力を併せ持ち人々を救ってくれると信じられています。
つまり、水の神様である竜神様に弥勒菩薩のパワーを与えるために東向きに移築されたのではないかと想像します。
龍神は「運気の流れを作る」という大きな役割を持っており、人間がどのように成長していけば良いかを導いてくれる神様です。
現代においても成功をおさめた経営者や政治家が龍神を大切にしているのは、このような理由からです。
毎年10月15日には、室生龍穴神社(むろう りゅうけつ じんじゃ)の例祭が行われ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈念して祈りが捧げられています。
女性がお参りできる山寺「女人高野」として再興
長い間、興福寺の支配下にあった室生寺ですが、江戸時代に入り、徳川5代将軍、徳川綱吉の母である桂昌院(けいしょういん)の尽力により、密教色を強め、真言宗寺院として再興します。
当時の室生寺はかなり荒廃していましたが、桂昌院より2000両(今のお金で3億円)の寄進を受け、現在の伽藍の整備が行われました。室生寺のお坊様の袈裟に、徳川家三つ葉葵の紋が描かれているのは、このような歴史の背景があったのです。
この頃から室生寺は「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれるようになります。
真言宗の総本山である「高野山(こうやさん)」は、言わずと知れた女人禁制のお寺ですが、これに対し、室生寺は女性の参詣を許したからです。
「室生寺(建物編)」、「室生寺(金堂の「みほとけ編」)」、「室生寺(金堂以外の「みほとけ編」)」に続く