2019年9月17日更新

修行をしすぎて髪の毛がアフロヘア―になった五劫思惟阿弥陀如来~阿弥陀如来の役割とは~

アフロ大仏

最近マスコミにも注目されている五劫思惟阿弥陀如来(ごこうしいあみだにょらい)。
「アフロ大仏」と呼ばれて密かに人気を集めていますが、その正体に迫ってみましょう。

  1. 目次
  2. アフロ大仏と呼ばれる由縁
  3. 五劫とは時間の単位
  4. 阿弥陀如来の役割は
  5. 重源(ちょうげん)が輸入した五劫思惟阿弥陀如来像
  6. 「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えれば 誰もが救われる
  7. 極楽浄土に住む「阿弥陀如来」は死後の御利益を保証する

アフロ大仏と呼ばれる由縁

五劫思惟阿弥陀如来像(ごこうしいあみだにょらいぞう)は奈良の東大寺・五劫院・十輪院、京都の大蓮寺・金戒光明寺、東京の浄真寺など日本に数体しか存在しない珍しい仏像です。

その人気の秘密は何と言っても、印象的な髪型でしょう。
螺髪(らほつ)すなわち髪の毛が長く伸びたお姿は、あたかもアフロヘアーのようなお姿で、「アフロ大仏」と呼ばれる由縁です。
五劫思惟阿弥陀如来(ごこうしいあみだにょらい)は、その名のごとく阿弥陀如来(あみだにょらい)の異形の一つです。

螺髪とは

五劫とは時間の単位

五劫(ごこう)とは、仏教において時間の単位を表す最高単位です。
未来永劫(みらいえいごう)という言葉なら一度は耳にしたことがありますよね。ここで使われている「劫」と同じ意味をもちます。

五劫がどのくらい長い年月を表すかというと、
100年に一度、天女が降りてきて、着ている羽衣で20キロ四方の巨大な石をさら〜っと撫でます。これを100年毎に繰り返すことによって、完全に石がすり減り無くなるまでの時間を「一劫」という単位で表します。
ある説では「一劫」は4億3200万年との説もあり、この説に基づくと、「五劫」は21億6000万年ということになります。

「思惟(しい)」は深く考えることを意味するので、仏様のお名前を直訳すれば、21億6000万年という気の遠くなるほど想像もつかない長い間、深く考え続けている阿弥陀如来(あみだにょらい)ということになります。

五劫思惟阿弥陀如来(ごこうしいあみだにょらい)の頭がアフロヘアーの理由、もうお分かりになりましたね。
阿弥陀如来が菩薩時代に立てた48の大願を成就するために、信じられないくらい長い間、剃髪もせずに修行をし続けていたら、もともと直毛だった髪の毛がクルクルした巻き髪となり、アフロヘアーになってしまったというわけです。
すなわちアフロ大仏は、長い長い修行をして悟りを開いたことを、わかりやすく伝えるための表現として造形されているのです。

阿弥陀如来の役割は

生きとし生ける命を救う仏様

さて、阿弥陀如来(あみだにょらい)は阿弥陀仏(あみだぶつ)、略して弥陀仏(みだぶつ)とも呼ばれ、どちらも同じ仏様を意味します。

インドでは「アミターバ」や「アミターユス」と呼ばれます。
アミターバは、「量り(はかり)しれない光を持つ者」という意味で、アミターユスは「量り(はかり)しれない寿命を持つ者」という意味を持ちます。
これを漢訳して「無量光仏(むりょうこうぶつ)」または「無量寿仏(むりょうじゅぶつ)」と呼ばれる場合もあります。

阿弥陀如来は西方浄土(さいほうじょうど=西の方角にある理想郷)に住んでおり、現在、過去、未来の生きとし生ける命を救ってくれる仏様です。

阿弥陀如来の誕生

では阿弥陀如来はどのように誕生したのでしょうか。

阿弥陀如来は、仏教の始祖である釈尊と同じように、一国の王様でしたが、ある時、世自在王仏(せじざいおうぶつ=阿弥陀如来の先生)の説法(せっぽう=演説)を聞いていたところ、深い感銘を受けます。
そこで自分も仏になろうと決心して出家し、自らを法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)と名乗り、どうしたら多くの衆生を救えるだろうかと悩み、48の大願を立てます。
48の大願とは、人間を含め命ある全てのものを救済したいという願いを成就させようという誓いのことです。この願いを成就するため、厳しく長い修行をした結果、悟りを開き阿弥陀如来になることができました。

阿弥陀如来は全ての仏様の先生

蓮如(れんにょ)上人は「阿弥陀仏は十方諸仏の本師本仏なり」と教えています。

十方諸仏(じっぽうしょぶつ)とは、「大宇宙の中には数え切れないほどの仏さまがいる」という意味を説かれた言葉で、本師本仏(ほんしほんぶつ)とは「師匠とか先生」という意味を持ちます。
つまり、「大日如来(だいにちにょらい)や薬師如来(やくしにょらい)、毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)など様々な如来は十方諸仏(じっぽうしょぶつ)の一つで、それらの仏様の先生は阿弥陀仏ですよ」と言うことを蓮如上人は教えているわけです。

重源(ちょうげん)が輸入した五劫思惟阿弥陀如来像

さて日本全国に数体しかない五劫思惟阿弥陀如来像(ごこうしいあみだにょらいぞう)ですが、重源(ちょうげん)が中国から日本に持ち帰った仏像だと考えられています。

重源は三度にわたり中国に留学し、中国の仏教の教えを学ぶと同時に新しい建築技術も学び、多くの仏像、経典を日本に持ち帰ってきました。東大寺の五劫思惟阿弥陀如来像などは重源が中国から持ち帰ったものと伝わります。

重源(ちょうげん)は東大寺勧進職(かんじんしき)として、源平の争乱で焼失した東大寺を復興した事で有名ですが、平安時代末期から鎌倉時代を生きた日本の僧で、紀氏(きうじ)の出身です。

紀氏(きうじ)といえば皇別(こうべつ)すなわち皇室から臣籍降下(しんせきこうか=皇族の身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りること)した分流の氏族で、古今和歌集を編纂した紀貫之(きのつらゆき)とは親戚筋です。

重源像

重源は1121年生まれですが、幼少の頃に父母が亡くなり養母に育てられます。1133年、13歳の時に養母が去り、長兄に真言宗の醍醐寺に連れていかれ出家し、真言僧(しんごんそう)として四国を巡礼します。
その後、19歳の頃より浄土宗(じょうどしゅう)の開祖である法然(ほうねん)のもとで浄土教を学び、大峰、熊野、御嶽、葛城など各地で険しい山岳修行を行いました。
浄土宗の開宗は1175年とされていますが、重源が法然のもとで学んだのは19歳の頃と言いますから西暦1140年頃と考えると、最新の仏教を学んでいたと言えるでしょう。

「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えれば、誰もが救われる

浄土宗(じょうどしゅう)の教えは、簡単にいえば、心の底から仏様を信じて南無阿弥陀(なむあみだぶつ)と唱えれば、誰でも救われるという教えです。

それまでの仏教は、経典を理解し、その教えを実践するというのが仏教信仰でした。従って、仏教の教えを理解して修行できるのは僧侶か、貴族に限られていました。
しかし、これでは文字の読めない多くの人々は仏教の教えを理解することができません。

ところが浄土宗は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、誰でも死後は平等に往生できるという教えのため、文字の読めない民衆たちの爆発的な人気を得て、浄土宗の教えが広がりました。

極楽浄土に住む「阿弥陀如来」は死後の御利益を保証する

浄土(じょうど)とは如来や菩薩が住む清浄な国土の事で、様々な種類の浄土があります。その中で、阿弥陀如来が住む浄土を「極楽浄土(ごくらくじょうど)」といいます。
極楽浄土は西の方角の宇宙のはるか彼方に存在し、きらびやかで音楽が流れ、とても居心地の良い場所とされており、浄土宗(じょうどしゅう)や浄土真宗(じょうどしんしゅう)では、人間は死んだ後に極楽浄土で修行をすれば仏になれると説いています。

「南無阿弥陀」とは、「ひたすら阿弥陀如来を信仰します」という意味です。
この教えは平安時代から鎌倉時代にかけて人気となり、阿弥陀如来信仰が盛んになりました。そのため、国内にある仏像の2〜3割は阿弥陀如来像であると言われています。

仏画などで、阿弥陀如来来迎図を見たことがある人も多いと思います。
生前に、南無阿弥陀仏を唱えて良い行いや功徳を積んだ人は、臨終の際に阿弥陀如来が迎えに来てくれますが、功徳が多ければ多いほど、お迎えは豪華となり、最大では25人の菩薩を引き連れた阿弥陀如来がお迎えにきてくれます。

阿弥陀如来は死んだのちに極楽浄土に連れていってくれるわけですから、現世利益ではなく死後利益を求める教えということになります。