2020年2月20日更新

大船・塩竃神社~仙台公から譲られた御分霊

塩竈神社 全景

 大船駅南口より柏尾川に沿う遊歩道を藤沢方面に向かい、県道302号線を渡ると多くの提灯の光をみつけました。お社は道路から幾分か引っ込んでいて見えないので、お寺なのか神社なのか不明でしたが後日徒歩でお参りに行ってみると、そこは塩竃神社でした。

  1. 目次
  2. 鎌倉になぜ塩釜神社があるのか
  3. この地に仙台公に仕えていた娘が住んでいたから
  4. ご祭神は塩土老翁神、武甕槌神、経津主神

鎌倉になぜ塩釜神社があるのか

 とてもシンプルなお社ですが、お社には御神酒や座布団、ストーブなども置かれており、地元の方達が大切に守ってきた神社のようです。
 塩竃神社といえば宮城県塩竃市を思い出しますが、鎌倉になぜ?との疑問がわきます。

塩竈神社 境内

この地に仙台公に仕えていた娘が住んでいたから

 早速「神奈川県神社庁」のホームページを検索してみると、御由来と題して「徳川末期、当所の娘が仙台公に仕えていたところ、塩竃神社を崇敬することすこぶるあつく、帰郷する際に御分霊をいただき、小祀を建てて崇敬の至誠を捧げてきたが、明治に入り国鉄の開通に伴いその分岐点として栄えるに従って、近隣住民も崇敬の念を持ち、氏神様と仰ぎ今日に至った」と書かれています。

 余談ですが鎌倉と伊達氏の結びつきはとても深いのです。というのも、そもそも伊達氏は鎌倉時代に源頼朝による奥州合戦に従軍し、石那坂の戦いで戦功をあげた常陸入道念西が、頼朝より伊達郡の地を与えられ、伊達朝宗を名乗ったのが伊達氏の始まりとされています。

ご祭神は塩土老翁神、武甕槌神、経津主神

 塩竃神社の御祭神は、塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)です。

塩竃神社 境内2

問題解決の方法を教えてくれる塩土老翁神

 塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)は、日本最古の書物と言われる古事記や日本書紀に出てくる神様で、塩は潮と同じ意味を持ち潮流を司る神様です。
 神話では、兄である海幸彦(うみさちひこ)に釣針を借りた弟の山幸彦(やまさちひこ)が、釣針をなくして途方にくれていたところ、海神(わだつみ)の宮への道筋をおしえて問題解決の糸口を与えたのが塩土老翁神です。

戦いの神様 武甕槌神

 武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、出雲の国譲り神話の中で高天原から経津主神(ふつぬしのかみ)とともに派遣され、大国主神(おおくにぬしのかみ)に国譲りを交渉し成立した神様で、雷神、剣神、武神とされています。

交渉力のある神様 経津主神

 経津主神(ふつぬしのかみ)は、武甕槌神と関係が深く両神は対で扱われることが多い神様です。
 刀剣を神格化した神様で、武甕槌神と同様、高天原から最後の使者として出雲に派遣され、大国主神に国譲りを承諾させたとされている神様です。

 毎年7月第2日曜日に行われる例大祭は、地元富士見町町内会が中心となり、執り行われています。

狛犬