2019年2月8日更新
節分とは~心の鬼を追い出して、招福を願う日~
皆さんは「節分」と聞いて最初にイメージするものは何ですか?
「鬼」「豆まき」「恵方巻き」
最近は、お相撲さんや芸能人が、神社やお寺の境内から豆をまく姿も定着してきましたね。
では「節分とは何か?」と問われて即答できますか?
今回は節分について、調べてみました。
「立春」の前日のみを「節分」と呼ぶようになった理由
節分は年に4回ある!
「節分はいつですか?」と聞かれたら、何て答えますか?
ほとんどの人が2月3日と答えるでしょう。
実は節分は1年に4回あります。
季節を分けるという意味をもつ節分は、春夏秋冬の季節の始まる前日のことを言います。
すなわち、立春、立夏、立秋、立冬の前日です。
ではなぜ「2月3日」だけを節分と呼ぶようになったのでしょう。
2月3日は新年を迎える「大晦日(おおみそか)」
2月3日だけを「節分」と呼ぶようになった理由は、旧暦と関係があります。
旧暦では、「立春」(2月4日)が新年の始まりですから、2月3日は大晦日です。
日本人は古来より、年末年始の行事を大事にしています。
年末の大掃除は、1年の汚れを払い、新しい「年神様(としがみさま)」をお迎えするための準備です。
また「年越しそば」を食べるのは、旧年中の「災厄(さいやく)」を断ち切るためと言われています。
そして年が明けたら、お寺や神社に初詣に出かけ、新しい1年の「厄除け」や「心願成就」を願います。
このように、立春の前日である「2月3日」は、新年を迎える前日であった事と合わせて、厳しい冬を乗り越え、待ち望んだ「春」がやってくるという2つの意味から特別な日となり、「節分」といえば立春の前日を指すようになりました。
「鬼」のイメージはどこから?
さて「節分」で欠かせないアイテムと言えば、「鬼」ですが、そもそも「鬼」とは何なのでしょうか?
「鬼」の語源は「隠(おぬ)」
鬼の語源は「隠(おぬ)」がなまったものと言われ「見えないもの」をイメージした言葉です。
そもそも「鬼」は人間が想像した怪物ですから、いろいろな意味や役割を合わせ持っているようです。
「鬼」という言葉は、「人に災いをもたらす物」や「人間では考えられない恐ろしい力をもつ存在」、「死者の霊魂」など「見えないもの」を具現化するために使われる言葉で、どちらかというとマイナスのイメージを持ちますが、秋田県地方に伝わる「なまはげ」は善い神として存在する代表例です。
つまり「鬼」には善神(ぜんしん)と悪鬼(あっき)の両方が存在しています。
「角」 「キバ」 「ヒョウ柄パンツ」 「金棒」のイメージ誕生の秘密
私たちが「鬼」と聞くと、「頭に角が生え、キバがあり、ヒョウ柄のパンツをはき、金棒を持っている」姿を想像します。
こうしたイメージはどのようにつくられたのでしょうか。
調べてみると、仏教における「夜叉」の影響を受けてつくられたイメージと、陰陽道の「鬼門」の考え方からつくられたイメージと両方あるように思います。
仏教の「夜叉(やしゃ)像」からイメージした「角」 「キバ」
仏教における「夜叉(やしゃ)」は、もともとはインドの神話に出てくる神様です。
「夜叉」は『インドの山奥に住んでおり、人を殺して食べてしまい、疾風(はやて)のように走りまわる凶暴な振る舞いをする鬼神』としての存在でしたが、仏教の神様として取り入れられてからは、『仏法(ぶっぽう=仏教の事)を守護する善神』としての役割が与えられています。
時間があれば、「夜叉(やしゃ)」と検索してイメージ画像を見てみてください。
インドの夜叉像や、日本のお寺に安置されている夜叉像の画像がいくつか出てきますが、太い棒を持った夜叉や、赤い夜叉、緑の夜叉なども閲覧でき、金棒(こんぼう)を持った赤鬼、青鬼のイメージを膨らませる事ができます。
「鬼門(きもん)」からイメージした「鬼のパンツ」
また「鬼」のイメージは、陰陽道(おんみょうどう)に基づく「鬼門(きもん)」から誕生したのではないかという説もあります。
中国から日本に伝わった陰陽道の方位学では、東西南北を12に区分し、それぞれの方角には十二支の名前がつけられています。この方位学で「鬼門」とされているのが北東です。
鬼門は、陰陽道において「鬼が出入りする方角」とされ、「何をするにも避けた方が良い」とされている北東の方角です。
この北東を指すのが十二支の「丑寅(うしとら)」です。
牛の「角」、虎の「パンツ」のイメージにつながるというわけです。
豆まきは「魔除け」「厄除け」の儀式
さて、節分といえば、「鬼は外 福は内」と叫びながら大豆を撒くのが恒例です。
節分で「鬼を祓う(はらう)」という習慣は、宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)の「追儺(ついな)」を起源としています。
もともとは中国の宮中で行われていた儀式が大陸文化と一緒に日本に伝わりましたが、平安時代に日本の宮中行事として取り入れられ、室町時代に全国に広がったと言われています。
「追儺(ついな)」とは?
「追儺(ついな)」とは、大晦日に行なわれる宮中行事で、鬼(疫鬼や疫神)を祓う(はらう)儀式です。
宮殿において、陰陽師(おんみょうじ=陰陽道の行事をつかさどる職についている人)が祭文を唱える中で、「黄金の4つ目の怖いお面」をつけた、鬼払い役の「方相氏(ほうそうし)」が盾(たて)と矛(ほこ)を持ち、20人ほどの子どもたちを後ろに従えて登場します。
「方相氏(ほうそうし)」とは、鬼を祓うために出てくる神様に扮装する役目の人々の呼称です。
方相氏は手に持った矛を地面に打ち鳴らしながら「鬼やらい、鬼やらい」と大きな声で叫びながら宮中を歩き回り、目に見えない疫鬼を門の外に追い出すというわけです。
「方相氏」の後ろには「桃の木で作った弓」と「葦(あし)で作った矢」を持った「殿上人(てんじょうびと=宮中に上がる事が許された特別にえらい貴族)」が続きます。
古来より桃や葦にも邪気(じゃき)を祓う(はらう)力があると信じられていたからです。
こうした「追儺(ついな)」の様子は、平安時代の随筆家である清少納言による「枕草子(まくらのそうし)」や、小説家である紫式部の「源氏物語(げんじものがたり)」にも描かれています。
鶴岡八幡宮では、節分に「鳴弦の儀」が行われますが、「桃の弓」と「葦の矢」に由来したものです。
「鳴弦の儀」については、また別の機会でご紹介します。
豆まきは「火」で「鬼」を退治する儀式
さて、節分といえば、「鬼は外 福は内」と叫びながら大豆を撒くのが恒例です。
古来より、穀物や果実には邪気を払う霊力が宿ると信じられており、豆には「魔物を滅する」という意味を持たせ、古くから魔除けに使われてきた歴史があります。
鬼をめがけて撒く豆は「火で炒った豆」でなければ意味がありません。
鬼がもつ金棒は火に弱いですから、火で鬼を退治するという意味を持つためです。
生の豆は芽が生えてきてしまいますから、旧年中の「厄」がまたにょきにょきと芽吹いてしまう恐れもあります。
年の数だけ豆を食べる理由は、炒ることで邪気を払った豆を食べることで、身体の中の鬼を退治するという意味があります。
目に見えない「鬼」や「魔物」は、自分自身の心に宿っており、内なる穢れ(けがれ)を外に出し、福が来るように「鬼は外 福は内」という豆まきの風習が定着したと言われています。
鬼は柊鰯(ひらぎいわし)が嫌い
節分の飾り物といえば、「柊鰯(ひらぎいわし)」ですね。
葉のついた柊(ひいらぎ)の枝に焼いた鰯(いわし)の頭を刺して玄関に飾ります。
これは「魔除け」のためです。
昔の人は「魔」=「鬼」と考えており、臭い物や尖った物を嫌う「鬼」を退治するための飾り物とされています。
恵方とは?
最近は、節分と言えば「恵方巻き(えほうまき)」というように、「恵方(えほう)」という言葉が定着してきましたが、恵方(えほう)の意味が分かる人は少ないのではないでしょうか。
「恵方」は年徳神のいる方角のこと
「恵方(えほう)」とは、「歳徳神(としとくじん)」のいる方角を指します。
「歳徳神(としとくじん)」は一年の福徳を司る神さまで、その方角に向かって事をなせば、万事大吉とされています。
では歳徳神のいる方角はどのように決まっているのでしょうか。
恵方の方角は西暦の下一桁で決まる!
実は、恵方の方角は西暦の下一桁で決まっています。
西暦の末尾が
「1」と「6」の年は、南南東
「2」と「7」の年は、北北西
「3」と「8」の年は、南南東
「4」と「9」の年は、東北東
「5」と「0」の年は、西南西
です。
したがって2019年は東北東、2020年は西南西になります。
ちなみに初詣は、自分の家からその年の恵方の方向にある神社に詣でると良いとされ、「恵方詣り(えほうまいり)」と呼ばれます。
「恵方巻き」の名付け親はセブンイレブン?
節分に恵方巻きを食べる風習が流行りだしたのはつい最近です。
関東ではほとんど馴染みのなかった恵方巻きを世に知らしめたのは、実はセブンイレブンだとか。
戦前に大阪で売り始めた巻き寿司が恵方巻きのルーツといわれていますが、戦後になって寿司組合と海苔組合がコラボして生まれた巻き寿司を「幸運巻き寿司」として売り出されるようになりましたが、関西方面のセブンイレブンが「恵方巻き」という名前で巻き寿司を売り出し、2000年以降に全国に広まったと言われています。
いずれにしても、恵方巻きの歴史は100年たらず。1000年後の日本人は恵方巻きを食べ続けているでしょうか?